サマーエンド・イレギュラー
         〜789女子高生シリーズ
          『サマーエンド・ラプソディ』 後日談

 



     2



一応は“一般人”のお嬢さんたちを、
取り調べでもないのに堂々と警視庁へ呼び立てる訳にもいかぬ。
呼ぶくらいなら、
まま“見学”という格好に誤魔化せば、
入館記帳への取り繕いも無難にこなせることじゃあったが。
こちらのお嬢さんたちと来たら、
ここに勤める警察関係者の皆様の間でも、
既に、無駄に顔を売っているものだから。
あら、なんで来たのかなぁと、
印象に残ってしまう人が出ないとも限らない。
殊に 今回は、
警察官としての公務からはちょいと外れる…というか。
わざわざこちらのお嬢さんたちへ伝えるのは、

  本来ならば…彼らより上だか外だかの
  許可がいるかも知れぬ、微妙な内容でもあるようで。

出来るだけ 同僚らも含めて他者の耳目が少なく、且つ、
機密性に保証のある場でしか語れないなと用心したのであり。
念のためにと盗聴の危険はないかを確認した上で、
お嬢さんらを通した歓談用のフロアは、
ちょいと小じゃれたクッションソファーを並べた空間。
そういう“隙間”をついただけはあったということか、
他には誰の姿もなくて、
警察は相も変わらず、夏休みでも忙しいらしいことが窺える。

  ……じゃあなくて。

ここまでは、外にいたときの延長よろしく、
日頃と変わらぬ朗らかな態度でいた彼女らだったものが、

 「……。」

そこは当事者だからか、
寡黙な様子が仄かにいつもより堅い久蔵さんを、
左右から励ますように見つめてあげての席へ着き。
あらためて 刑事の二人へと向けた、
さあお話を聞きましょうかという七郎次や平八の表情は、
それまでの溌剌さからは がらりと変わって真摯なそれ。
だって、いつものお転婆とは、段取りもカラーも違うこと。
好奇心や義憤から立ち上がっての首を突っ込むという格好で、
こっちから飛び込んだ事件や騒動じゃあなかったからで。
いつになく神妙な様子の彼女らなのへ、
だが、こちらはと言えば、
特に何かしらのファイルや資料を、
その手元に取り寄せたりもしないまま。
本当に本格的に調べたのかしらとの、不審も招きかねない態度にて、
彼女らの注意が一点に集まって静まるのを待ってから、

 「結果から言うと、昨夜のM区管内で、
  怪しい挙動をしただの、若しくはそのために伸されてしまい、
  逮捕収容されただのという者の記録はない。」

 「…っ。」

警部補殿から告げられた淡々とした言へは、
途端に“意義あり”と素早くお顔を上げた紅ばらさんだったが。
そういう反応をされる予測はあったか、

 「お主が嘘をついたと言ってる訳じゃないし、
  そんな事実が一切なかったとも言うてはおらぬ。」

誰よりも先んじて勘兵衛が言葉を継ぎ、

 「記録にないというだけの話だ。
  警察への通報がなかったか、
  若しくは、警邏の目に止まる前に
  仲間の手で速やかに撤収したということだろうよ。」

勢い込みなさんなと、
どうどうと宥めるように表情を和ませた彼だったのは、
いつもの泰然とした落ち着きから…のようにも思えたが。

 “今回ばかりは…。”

老獪な存在感とは裏腹に、
どちらかといや実務主義者で。
しかも、前世と全く変わりなく、
要領が悪いというか融通が利かないというか。
組織の組織たる機動力や動員力には一目置きながら、
上司へおもねるのは相変わらず 大の苦手で。
強引な権力公使とは真逆の意味合いからに限ってのこと、
例えば…非力な存在を囲い込んでの守るためなら、
場合によっちゃあ 辻褄は後から合わせりゃあいいとする、
超法規的対処も厭わぬタイプの勘兵衛だというに。

 それが、こんな
 奥歯に何か挟まったような物言いをするなんて。

かつての戦場とは背景も仕様もずんと異なる、
今いるこの“生”に於いてでも。
キャリアもあっての袖斗も多く、
周到で、様々な搦め手を隠し持つ筈の勘兵衛が。
だというに、それらが全く用を足さなんだほどの、
苛立たしい歯痒さに久方ぶりにご対面したらしく。

 しかも、そんな結果を、
 こちらの少女らへ伝えねばならない難しさ。

見たままの実年齢分しか蓄積をもたぬ、
無邪気な、若しくは短慮で感情的なだけという、
年端もゆかぬ少女らではない。
彼女らもまた、その身の奥底に、
それぞれが苛酷な経験積んだ、大きな戦という経歴もつ人の、
過去の記憶も持ち合わせておいでの“転生人”で。
しかも、その時代からのお付き合いもある相手なだけに。
大人の事情や、柵の重さも、認めたくはなくとも知ってはいようという、
胸の内の尋が案外と深い顔触れでもあるからややこしく。

 “そういう相手でなかったならば、
  勘兵衛様とて、巧妙に煙に撒く一手で通されたかも知れぬ。”

曰く、大人の世界の不合理とかどうとかの一言で、
押し切る頑迷さを発動して済ませたかも。
但し、そんな乱暴な手を通せば、
だったら自分たちで調べますなんて
空恐ろしいことを言い出しかねないお人らでもあって。

  そう
  こたびばかりは、どうあっても
  彼女らを不用意に近づけてはならない存在が相手。
  そうなだけに、
  久々に胃の痛い想いをなさった御主でもあろうよと。
  同情を寄せるにしくはない、征樹殿だったりもしたそうで…。





     ◇◇◇◇



所属するバレエ団の夏の定期公演を終え、
仄かな疲労感を抱えつつ、
友が待つ場所への帰還にいそいそと急いでいた、
まだ十代という幼さの、三木家の令嬢へと向けて。
躱せなければ相当な怪我を負ったやも知れぬ、
あるいはあっさりと昏倒し、そのまま拉致されていたかも知れぬという、
尋常ならざる魔手が忍び寄っていたのは、ほんの昨夜のお話で。
見上げる余裕はなかったけれど、
まだ宵の口という時間帯の東の空にはきれいな月も上っており。
どこもかしこも…は大仰ながら、
少なくとも都心近くの繁華街の一角は、
そりゃあ静かで平安な夏の晩を、
つい前日と同じよに迎えていたはずなのに。

 『 …っ。』

公演が催された会館のバックヤード。
関係者の通用口へと向かいかけてた久蔵が、
途中でその足をはたと止めたのは、
覚えのない、だが、妙に殺気立った気配を感じたからで。
軽やかな綿毛の乗った頭を巡らせ、
何だろなんだろと立ち止まっていたお嬢様へ、
だが、気安い声をかけて来た存在があって。

 『西の通用口へ急いでくださいませ、お嬢様。』

怪しい人どころか、
自分をここまで送り迎えしてくれた、三木家お抱え車の運転手さんで。
軽やかな声掛けに促されて駆け出したのは、
でもねあのね、
さっきの気配がどうでもよかったというのとも違ってて。
むしろ、そんなものに引っ張られていちゃいけませんと、
こちらのお兄さんが“早く逃げよ”と急かすのへ、
柔順に従った方がいいよという気持ちのほうが、
どうしてだろうか、強く働いたからに他ならぬ。

 怖かったわけじゃないの、ホントだよ?

右腕をぶんって振り抜けば、
そこにはいつもの特殊警棒も装着していたし。(こらこら)
なのに不思議と、その人の誘導の仕方とか声とかには、
いい子だから、こっちへおいでねと、
おいでおいでについてった方が
嬉しく褒めてもらえそうな、
そんな甘いお誘いの匂いがいっぱいしたものだから。
疑いなんて一片もなく、
腕を取られたそのまんま、いい子で大人しくついてったのね。
時々、ざわわって背条が騒ぐ気配が押し寄せるのへも、
右手を振り抜くのじゃあなくっての、
もっと昔の癖がつい出かかってのこと、
肩の上へと何度か手を挙げかかってしまったけれど。
今は逃げようって、そうするのが一番なんだって、
何の疑いもなくそう思えたの。

 今にして思えば、
 そうしないとこの人が困るって思ったからかも。

あとちょっとで外だというところで、
とうとう何か重々しい気配が前からも押し寄せて。
久蔵を導いていたお兄さんが、思わず立ち止まってしまったほどに、
重苦しい危機が訪れた正念場でさえ。
思わぬ援軍あってのこと、見事に掻いくぐってしまった彼らは、
さあ帰りましょうねと、
久蔵を屋敷まで送り届けにかかったのだけれども、

 『あ、えっと…。』

実は約束があったの、だからねあのねと、
その旨を何とか告げるお嬢様だったのへ。
さようでございますかと丁寧に応対してくれてから、
それじゃあと、まずは駐車場まで向かって下さり。
そこで待っていた榊せんせえのところまで、
やはり抱えたまんまで運んでくれて。

 「……久蔵?」

そういえば初日も、
此処までは こちらの彼の運転で会場入りしたお嬢様だったが、
帰りは兵庫が送るのを引き受けてくれて。
その折に顔合わせもしている彼らだとはいえ、
そういえば、実は金髪だった髪を隠していた彼だったので、
パッと見も同一人物には見えなんだかもしれないし、

 「どういうことだ、貴様その子に何を…。」

そんな“見知らぬ殿方”の、
腕の中へと抱えられたままの久蔵という構図には、
彼女の気性もようよう知っておればこそ、さすがに驚いたのだろう。
気配を拾って、車の傍から振り返ったそのまま、
抵抗出来ぬような怪我でも負うたかとの案じから、
速攻でいきり立ってのこと、
即座に食ってかかった兵庫せんせえだったものの、

 「違うっ、助けてくれた人だ。」

まずは足を降ろして…という、呼吸の合いようも大したもので。
歯痒そうにもがく暇間も挟まらぬまま、その場へそおと降ろされたお嬢様が、
兵庫せんせいにとっては謎の男性の前へと立ちはだかり、
そのまま両の腕を左右へと突っ張らかして見せたので、

 「…久蔵?」

他でもないこの自分が何かへ咬みつく行為を、
その身を呈して遮るなんて。
まるで彼女自身を誹謗されたのへの反駁のような、
若しくは 大切な存在だからと庇うような格好で。
そんな色合いの感情を自分へと向けられたのは、もしかせずとも初めてだと。
呆然としていたのも束の間のこと、

 「……。」
 「……お嬢様。」

抱えられるほどの緊張か憔悴か、
そんな身だったからこそか、足元が揺らいだ彼女を受け止めた、
見ず知らずの若いのだったのへもカチンと来たけれど。

 「榊せんせい。
  私はこの1週間、
  お嬢様の送迎を担当しましたタジマと申します。」

 「……ああ。」

ああそういう名前だったと、今思い出す。
髪の色が大きに違ったが、表情に凛とした冴えがあって、
そこには、何も知らぬこちらを小馬鹿にするような僭越さも、
逆に、当たり障りなく済まそうという魂胆の、卑屈に擦り寄る気配もなくて。
ほんの気休め程度の街灯の下でもそれが判るのは、
こちらの感受性や勘の鋭さのせいだけでもなさそうで。

 「……シチ。」

まだ誰かいるものか、どこかからの声が立ち、
それへと視線をやったらしき相手の男は、
彼にだけ聞こえる声があるものか、ややあって うんと一つ頷くと、

 「ご安心くださいませ。もう危険はありません。」
 「…っ!」

危険というフレーズに眉を震わせるこちらなのへも動じずに、

 「お嬢様にはお友達との約束がお在りだとか。
  お家へ戻る前にどうしても…との仰せなのですが。」

そうと続けつつ、自分へ凭れかかっている少女を、
それは愛おしげに見下ろすお顔は、
薄暗い中でも、
そりゃあやさしい造作と、端正な白皙さであるのが見て取れて。
堂に入った余裕の所作にて、
可憐な手を受け止めたままな彼自身の手元も麗しく。
そんな存在に そおと扱われているからか、
衣装は全く違うのに、
先程まで彼女が舞台で演じていた、
さだめと精霊とに翻弄される貴族の姫君を彷彿とさせたほど。

 『…っ☆ 痛たたたったっ。』
 『〜〜〜〜〜〜っ
 『そういう じゃじゃ馬にはこうだっ!』

ああそうだったね。
今世での再会という途轍もない奇跡の中で、
あの氷のような顔しか見せなんだ寡黙な青年と、
ついつい印象が重なったのは最初だけ。
ずんと幼かった久蔵お嬢ちゃまは、
やんちゃだったり寂しがり家だったり。
ママに逢いに行くのだと、家を抜け出した折なぞは、
途中の道にて追いついたこちらへ、盛大に咬みついてもくれた。
手っ取り早くと鼻を摘まむまで、
ずっとずっと口を開けなかった頑迷さには、
何かしらの言い分なぞなくとも、色んなものが込められていたし。
言葉が足りぬところは同じでも、
刀にしか関心がなかったあのころと、同じ“無口”ではなかったものね。

 「榊せんせい?」
 「…ああ、いや。」

我に返ると、改めて手を伸ばし、

 「すまなかったな。この子を守ってくれたお人へ咬みついて。」

いえいえと穏やかそうに微笑った彼は、
手際のいい動作でお嬢様を主治医のせんせえへと手渡すと、

 「いろいろと腑に落ちぬことがおありでしょうが。
  どうか、お気に留めたりなさらぬように。」

そんな言いようを重ねて紡ぎ。
どういう意味かと、今度は怪訝そうに眉間へしわを寄せて見せれば、

 「困惑し混乱するだけだからです。
  我らは今この時から、完全に姿を消しますので。」

芝居がかった物言いが、なのにどうしてだろうか様になる。
もう一度にっこりと頬笑んだ彼は、
少々疲れたらしい久蔵お嬢様を抱えたことで、
両手のみならず身動きも塞がった格好の兵庫が、
追うことも出来ぬだろと、そこまで見込んでいたものか。
街灯が照らし出す、明るいところに立っていた長身ごと、
それもまた計算か、
あっと言う間に…夜陰の垂れ込める側へと、
その身をすべり込ませてしまい。
足音も気配さえも残さずに、
彼自身が言ったその通り、
跡形もなく居なくなってしまったのだった。





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